2020年08月15日
あの日も今日のように暑かった

8月15日終戦記念日。あれから75年の歳月が流れたんですね。
あの玉音放送が流れた日は、暑い日で上空は静まり返って
いました。空襲警報や爆音を轟かせた戦闘機が消え、ただセミの
鳴き声だけがやけに耳に響いたのを思いだします。
この終戦記念日が近くなると、新聞などには色々な体験談が記載
され当時の事が昨日のように思い出されます。自身は7歳だったと
思います。当時の様子は孫たちには少し話した程度で、多くは
語っていません。わが家は父の仕事の関係で海外生活でしたが
日本との不穏な空気を感じ急遽帰国したと後に母から聞きました。
終戦の日から少しして、疎開先に米国のMPが家宅捜査に来た
時はビックリしました。その通訳の日本語が通じず、母がいきなり
英語で介した時はMPが驚いたと聞きます。その場は何事もなく
終わりました。その母の英語力が話題となり、皮肉にも通訳として
米軍施設に勤務した時もありました。終戦前後の出来事は沢山
あります。父は戦死、母は外国生まれ教育もイギリス系の学校育ち
軍国主義の日本国で大変な苦労だったと思います。自身が大学を
卒業して間もなく病に倒れ亡くなりました。少しは親孝行出来る
かなと思った矢先で、ただただ茫然としていた時期がありました。
そんな思いが重なり当時の事は、多くは語りません。
あの時代を思うにつれ、今の平和はなんて素晴しいでしょうか。
近隣諸国はきな臭い話題が多く気になりますが、今の平和は全ての
国民が守りぬかなければいけません。あの戦いの礎で平和な日本が
生まれました。いつも平和であるよう祈り続けています。